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東京高等裁判所 昭和47年(う)1272号 判決

被告人 千葉君男

主文

原判決を破棄する。

被告人を判示一、同三の事実につき懲役三月に、判示二の事実につき罰金五、〇〇〇円にそれぞれ処する。

右罰金を完納することができないときは、金五〇〇円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。

理由

本件控訴の趣意は、静岡地方検察庁検察官検事宮越重雄作成名義の控訴趣意書および東京高等検察庁検察官検事池上努作成名義の控訴趣意書訂正申立書に記載されているとおりであり、これに対する答弁は弁護人原則雄作成名義の答弁書に記載されているとおりであるから、これらを引用し、これに対し当裁判所は、次のとおり判断する。

検察官の所論は、原判決は、公訴事実のうち第一の無免許運転につき公訴事実どおりの事実を認定したが、第三の事故報告義務違反の事実については無罪の言い渡しをした。

しかし、右無罪を言い渡した点は、明らかに法令の解釈・適用の誤りによるものであり、その誤りが判決に影響を及ぼすことが明らかであるという主張であつて、その理由は、原判決は、公訴事実第三の事実につき、道路交通法(以下、「法」と略称する。)第七二条第一項後段、第一一九条第一項第一〇号の解釈として、「最高裁判所は、合憲説をとつており(最高裁判所大法廷昭和三七年五月二日判決、同第三小法廷昭和四五年七月二八日判決)、その判例の見解に従うのが望ましいところであるが、憲法第三八条第一項の要請を考慮して、その合憲性を認めるのが相当である。」としたうえ、「右規定の文理上は報告義務を負うようにみえる場合であつても、解釈上そのような義務を負わない場合がある。」として、「本件の場合、事故による負傷者はなく、事故により交通秩序が混乱したこともなかつたものであつて、負傷者や交通秩序の混乱を放置することによる人の生命、身体等に重大な損害を及ぼす危険は存在しなかつたものであり、また、本件事故現場の管轄警察署である三島警察署の警察官は、事故発生直後に運転者のうち一人からの通報によつて道路交通法第七二条第一項後段所定の事項を知り、または容易に知ることのできる状況に置かれたものであつて、そのいずれの点からも、警察官が負傷者の救護、交通秩序の回復につき適切な措置をとるために運転者に右条項所定の事項の報告を求める必要は存在しないものと認められるから、運転者である被告人は、右事項を報告する義務を負わないものというべきである。」旨の見解を示したが、右見解は、次の諸点よりして誤りであるといわなければならない。

一、原判決が、本件において、法第七二条第一項後段所定の事故報告義務につき示した解釈はきわめて不合理、かつ、恣意的であつて、完全に誤りである。

1、法が道路における危険を防止し、その他交通の安全と円滑を図ることを目的とすること(法第一条)にかんがみれば、法第七二条第一項後段は、交通事故発生の際、警察官をして速やかにその事実を知り、被害者の救護、交通秩序の回復につき適切な措置をとらしめ、もつて道路における危険とこれによる被害の増大とを防止し、交通の安全を図る等のため必要かつ合理的な規定として是認せられるところである。しかも、右条項が規定する報告すべき事項は、交通事故の態様に関する事項に限定されているのであつて、右報告事項からすれば運転者等は、警察官が交通事故に対する処理をなすにつき必要な限度においてのみ右報告義務を負担するに過ぎず、それ以上に、刑事責任を問われるおそれのある事故の原因その他の事項までも右報告義務の内容とされているとは解せられない。法第七二条第一項後段によりこのような報告を命ずることは、憲法第三八条第一項にいう自己に不利益な供述の強要にあたらないことが明々白々であつて、前掲昭和三七年五月二日最高裁判所大法廷判決もこのことを確認するものである。

しかるに、原判決が、法第七二条第一項後段にいささかなりとも違憲の疑いありとして、これを制限的に解釈しなければ、その合憲性が保たれないとするのは、なんら合理的根拠のない独自の恣意的解釈であつて、失当たるを免れないというべきである。

2、したがつて、原判決が、右のような制限的解釈論を前提として、本件の場合交通事故による負傷者はなく、事故により交通秩序が混乱したことがなく、そのうえ警察官が事故発生直後に他の運転者からの通報によつて法第七二条第一項後段所定の事項を知り、または容易に知りうることができる状況に置かれていたのであるから、被告人は報告義務を免れるとした点は、明らかに誤りといわなければならない。

法第七二条第一項後段の法意は、前述のように個人の生命、身体及び財産の保護、公安の維持についての職責を逐行する警察官をして速やかに所定の事項を知らしめ、負傷者の救護及び交通秩序の回復等について、当該車両等の運転者等の講じた措置が適切であるかどうか、さらに講ずべき措置がないか等をその責任において判断させ、もつて前記職責上とるべき万全の措置を検討実施させようとするにあると考えられるから、たとえ、結果的には事故発生直後に当該車両等の運転者や第三者において負傷者の救護がなされ、また、交通秩序も既に回復しているため、警察官においてそれ以上なんらの措置をとる必要がないように思われる場合であつても、なおかつ、交通事故を起こした当該車両の運転者が、右報告義務を免れることはないのである。

したがつて、この義務は、当然当該運転者がみずから履行しなければならないものであつて、例外的に当該運転者の意を受けた他の運転者もしくは第三者によつて報告がなされ、所定の目的が達成された場合のように当該運転者自身が履行したと同視できるような場合に限り、当該運転者が報告義務を尽くしたものとされるにすぎない。当該運転者とは関係なく他の第三者が警察官に通報した場合には、これにより当該運転者の報告義務は免除されるものではないのである(昭和四一年五月七日東京高裁判決、昭和四二年二月一五日大阪高裁判決、昭和四三年一二月二五日東京高裁判決、昭和四五年三月六日大阪高裁判決、同年五月二一日東京高裁判決、同年一〇月二八日東京高裁判決)。『いわんや、加害車両の運転者が右報告義務を怠つて現場から逃走した後に、被害者が警察署に届けたことによつて当該運転者の報告義務がさかのぼつて消滅するというようなことは、ありうべくもないのである(昭和四二年四月一九日東京高裁第一一部判決、昭和四四年三月六日大阪高裁判決、昭和四五年三月一二日東京高裁第二刑事部判決、同年一一月一一日東京高裁第七刑事部判決、同年一二月八日東京高裁第八刑事部判決)。』

二、ところで、本件の場合は、被告人が国道上の交差点において、停車中の前車に自車を追突させ、前車のトランクルーム、テールランプ等、自車の左前照灯等を破損させる事故を起したものであるし、その他前車に乗車中の者に対してもなんらかの傷害を負わせた蓋然性が十分あつた場合であるので、被告人としては加害車両の運転者として、直ちに一たん停車して負傷者発生の有無を確認し、警察官に事故の報告を行なうべき義務を負つていたものである。しかるに、原判決は、右の事実関係に加うるに、第三者の通報があつたからとして、被告人の報告義務を否定したが、これは、明らかに法令の解釈適用を誤つたものである。

本件事実関係の経過は、証拠によると、被告人が、三島市富田町一番二六号先国道一号線道路上を乗用自動車を運転走行中、安全運転義務に違反して、同所付近交差点において、停止信号により一時停止していた劉秀雄の運転する普通乗用自動車後部に自車前部を追突させて、同車両の一部を破損する等の交通事故を発生させたが、被告人はその際、「酒を飲んで無免許で事故を起こし、警察に判れば大変なことになる。」と考えたため被害者の負傷発生の有無を確かめることなく、直ちに自車を運転して逃走したものであつて、右追突の結果、(イ)自動車とともに約一一メートル前方に押し出された右劉秀雄は瞬間頭がボーツとするような衝撃を受け、翌朝も首に痛みを感じる状態ではあつたが、たまたま医師の加療を要する傷害にまでは至らなかつたのであり、(ロ)他方、本件事故現場は、三島市内の国道一号線道路であつて、普通夜間でも自動車の交通量がきわめて多い箇所であるところ、本件事故により現場には車道上一面に事故車両のテールランプ等のガラスの割れた破片が散乱していた状態であつたのであるし、さらに、被告人は、右事故により前部バンバー、左フエンダー、前部ボンネツトが曲がり、左前照灯が欠損して、夜間運行上重大な支障のある加害車両を、現場から約二八〇メートルにもわたつて運転して逃走したうえ、道路の中央部に右車両を放置して逃走した、というものであるから、交通秩序を混乱させ、交通の危険状態を発生せしめていることが明白である。

したがつて、このような交通危険の増大を防止するために警察官の適切な措置が必要であることはいうまでもない。しかるに、原判決が、本件事故により交通秩序が混乱したこともなく、警察官が所定事項の報告を求める必要は存在せず、被告人はその報告義務を免れるとしているのは、明らかに失当な判断というべきである。

また、被告人は本件事故を起こしたのに、右のとおり現場から約二八〇メートル加害車両を運転して逃走したうえ、道路の中央部に該車両を放置したまま更に逃走したものであるが、被害者が、追突をされた直後、被告人が逃走するのを認めて、現場に集まつてきた付近の者に警察官への通報を依頼して被告人車両を追跡し、右のとおり被告人が放置した加害車両を発見した結果、被告人を検挙するにいたつたことが認められる。したがつて、被告人には本件発生後直ちに警察官に事故報告をする意思は、まつたくなく逃走したものであり、また、第三者に事故報告を依頼した等の事情は、いささかも認められないものである。

以上のとおり、原判決は、道路交通法の解釈・適用上、明らかな誤りを犯しており、前掲最高裁判所及び高等裁判所の各判例にも反しているので、当然破棄されるべきものと思料するというのである。

そこで、所論にかんがみ審案するに、

一、道路交通法(以下、法と略称する。)第七二条第一項後段の規定において、運転者に対して同条項所定の事項を警察官が現場にいるときは当該警察官に、警察官が現場にいないときは直ちにもよりの警察署の警察官に報告する義務を課しているのは、法が、道路における危険を防止し、その他交通の安全と円滑を図ることを目的としている(法第一条)ことにかんがみるときは、警察官をして、速やかに、交通事故の発生を知り、被害者の救護、交通秩序の回復につき適切な処置をとり、道路における危険とこれによる被害の増大を防止するために必要な限度にとどまつており、それ以上に刑事責任を問われるおそれのある事故の原因、その他の事項の報告義務を負わせているものでないことは、その条文に徴し明らかである(昭和三五年(あ)第六三六号、同三七年五月二日最高裁判所大法廷判決の趣旨、刑集一六巻五号四九五頁参照)。そして、憲法第三八条第一項の法意は、何人も自己が刑事上の責任を問われるおそれある事項について、供述を強要されないことを保障したものと解すべきことは、最高裁判所の判例とするところである(昭和二七年(あ)第八三八号、同三二年二月二〇日大法廷判決、刑集一一巻二号八〇二頁参照)。それゆえ、法第七二条第一項後段により、運転者に所定の事項の報告を命ずることは、憲法第三八条第一項にいう自己に不利益な供述の強要にあたらないものというべく法第七二条第一項後段の規定は憲法の右条項に違反しないと解するのが相当である。したがつて、原判決が、法第七二条第一項後段については、これを制限的に解釈しなければ、憲法第三八条第一項違反の疑が存在するとしたうえ、同条項の規定について示した論旨摘示の制限的解釈は、たとえ、追突された車両の運転者からの事故の報告がなされても、追突した車両の運転者、本件においては、被告人が事故の報告をしなかつた事情のいかんによつては、事故報告義務違反が成立するものであるのに、そのような事情を一切見のがし、追突事故発生の直後に追突された車両の運転者から事故の報告がなされ、その報告によつて警察官が右条項所定の事項を知り、または容易に知ることのできる状況に置かされさえすれば、追突した車両の運転者すなわち、被告人は、直ちに法第七二条第一項後段所定の事項を報告する義務を免れるにいたるとした点において、右法令の解釈、適用を誤つた違法があるといわなければならない。

二、また、交通事故を起した自動車運転者が、事故報告の意思なく事故現場から逃走した場合には、その後相手方の自動車の運転者から報告がなされたとしても、事故報告義務違反の罪責を免れないものであり(昭和四六年(う)第一五六一号、同年一一月三〇日当裁判所第一二刑事部判決、高刑集二四巻四号七四五頁参照)、法第七二条第一項後段は、車両等の交通により人の死傷があつたときはもとより、単に物の損壊があつただけの場合においても、その損壊の大小を問わず、これを警察官に報告すべきことを規定したものと解すべきである(昭和四三年(あ)第二四六一号、同四四年六月二六日最高裁判所第一小法廷判決、同裁判所裁判集刑事一七一号一〇六九頁参照)。

三、これを本件の具体的事案について考察すると、原判決挙示の証拠、および証人渡辺治勝の当審公判廷における供述を総合すれば、被害車両の運転者である劉秀雄は、信号待ちのため、原判示交差点の東側入口の手前において、一時停止をしていたところ、被告人運転の車両によつて、いきなり追突され、そのため約七メートル前方に押し出されたこと、同人は、まもなく我に返つて、車から降りて後方を見ると、被告人車両が横断歩道付近におり、その方へ近寄ろうとしたところ、被告人車両は同人の方に向つてのろのろ走つて来たこと、同人は、手を上げて止まるように合図をしたが、被告人車両は急に速度を出して、南の方(松本方向)に逃げて行つたこと、同人は、すぐ自車で被告人車両を追いかけ、同車が三〇〇メートルくらい先を左に曲つたので、その後に続いて左折したところ、約三〇メートル前方の道路真中に同車が止まつていたので、同車に近づいて中を見たが、中には人が見えなかつたので、逃げたと直感し、事故現場にもどつたこと、同人は、追突された直後事故現場に来た人に、警察署へ事故の報告をするように頼んだこと、右の報告が電話で警察署へなされたのは、事故が発生してから長くみても三、四分後であつたこと、また、被告人は、追突事故をひき起したのち、被害車両および自車を損壊したことを知りながら「酒を飲んで無免許で事故を起し、警察にわかれば大変なことになる。」と考え、法第七二条第一項後段所定の措置をとることなく、直ちに自車を運転し、事故現場から約二八〇メートル離れた道路の中央に自車を放置したまま逃走したこと、他方、本件事故現場は、三島市内の国道一号線道路であつて、夜間でも自動車の交通量がきわめて多い個所(なお、本件事故直後に施行された実況見分によると、一分間に三台の車両が通行したことを認めることができる。)であり、本件事故により現場には、車道上に事故車両のライト等のガラスの割れた破片が散乱していたこと、さらに、被告人運転の車両は、本件追突事故によつて論旨指摘のとおり破損しており、かかる欠陥車両を夜間運転して、交通の頻繁な事故現場付近を走行することは危険であり、交通秩序の回復、交通の危険防止と安全確保について警察官による適切な措置が早急にとられる必要のあつたことが認められる。以上の事実関係のもとにおいては、被告人は、本件追突事故によつて、自、他双方の車両が損傷をうけたことを知りながら、自分が負傷したわけではないから、報告しようと思えば、事故後いつでも直ちに報告ができる状態にあつたのにもかかわらず、事故の報告をする意思がなく、相手車両の運転者劉秀雄のすきをみて、事故現場から逃走したものであることを認めることができる。そして、追突した車両の運転者である被告人が、被害車両の運転者から直ちに法第七二条第一項後段所定の事項の報告が警察官になされた結果、事故に対する応急処理が完了した状態にいたつたことを見届けたうえで、事故現場から立ち去つたというような事跡が、記録上まつたく認められない被告人については、前記二に記載した判例の趣旨に従い、被害車両を損壊したことを知りながら、事故報告の意思なくして事故現場から逃走してしまつた時点において、報告義務を尽くさなかつたものとして事故報告義務違反の罪が成立したものといわなければならない。したがつて、被害車両の運転者劉秀雄から事故の報告がなされ、また、その報告が事故発生後それほど長い時間が経つていない時点においてなされたとしても、すでに成立した被告人の事故報告義務違反の罪に、なんらの消長を来たすものではない。

以上と異なる見解のもとに、本件事故報告義務違反の罪の成立を否定した原判決の判断は失当であり、右の事故報告義務違反の罪と原判示一および二の各罪は、刑法第四五条前段の併合罪として処断されるべきものであるから、原判決は、その全部について破棄を免れない。それゆえ、所論最高裁判所および高等裁判所の各判例違反に言及するまでもなく、論旨は理由がある。

よつて、量刑不当の控訴趣意に対する判断を省略し、刑事訴訟法第三九七条第一項、第三八〇条により原判決を破棄し、同法第四〇〇条但書により被告事件について、さらに判決をする。

(罪となるべき事実)

三として左の事実を追加するほかは、原判示一および二のとおりであるから、これを引用する。

「右一記載の日時、場所において、普通乗用自動車を運転中、自車を劉秀雄運転の普通乗用自動車に追突させ、同車の後部トランクルーム、テールランプ等を損壊する交通事故を起したのに、その事故発生の日時、場所等法令の定める事項を、直ちにもよりの警察署の警察官に報告しなかつたものである。」

(証拠の標目)

証人渡辺治勝の当審公判廷における供述を追加するほか、原判決掲記の各証拠の標目と同一であるから、これを引用する。

(法令の適用)

被告人の判示各所為中、判示一の所為は、道路交通法第一一八条第一項第一号、第六四条に、判示二の所為は、同法第一一九条第一項第九号、第二項、第七〇条に、判示三の所為は、同法第一一九条第一項第一〇号、第七二条第一項後段にそれぞれ該当するところ、判示一および三の各罪の所定刑中いずれも懲役刑を選択し、以上は刑法第四五条前段の併合罪であるから、同法第四七条本文、第一〇条、第四八条第一項本文により判示一の罪の懲役刑に法定の加重をした刑期範囲内および所定罰金額の範囲内において、本件犯行の動機、罪質、態様、三回にわたり無免許、酒酔い運転による道路交通法違反の罪により二〇、〇〇〇円ないし五〇、〇〇〇円の各罰金刑に処せられた前科など量刑の資料となるべき諸般の情状を斟酌したうえ、被告人判示一、同三の事実につき懲役三月に、判示二の事実につき罰金五、〇〇〇円にそれぞれ処し、刑法第一八条により右罰金を完納することができないときは、金五〇〇円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置し、原審および当審における各訴訟費用は、刑事訴訟法第一八一条第一項但書により被告人に負担させないこととして、主文のとおり判決する。

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